今年は例年の個別指導は抑えつつ、日本史の映像授業の校正の仕事をしている話は先日のブログに書いた。この仕事を通じて各単元の導入、展開、まとめの具体例に触れられることは、今後自分が授業設計をする上での参考になり、本当にありがたいし、自分だったら違う展開にするなあ、というアイデアもさまざま出てくる。苦手だった文化史についても、生徒に興味を持たせる切り口がさまざま浮かんでくる。教材もじっくりながめる時間があるので、教える時には見逃していた素材がたくさん見えてきている。


教育実習前はなにしろエピソードトークに頼っていた。例えば、壬申の乱を説明する上で、中大兄皇子と大海人皇子の不仲を象徴するために額田王との三角関係の話を持ち出すという手法である。どうしても歴史教師ならやりたくなるのだが、実は生徒にはあまりウケない。教育実習で鉄板と思っていた「別部穢麻呂」(気になる人は調べてみてください。なかなか面白い天皇にぶちあたります)がまったく無反応で、あれ?ここ笑う所なんだけどなあ、と思ったことを思い出す。教師は生徒から笑いを取りたいと願うがゆえなのだが、意外とハードルが高いようである。教師がしゃべりまくって終わる授業はNGだ。教育実習が自分にとって覚醒の時であったことが本当に身に染みる。

歴史の授業は、出来事の「意味」を考えさせることが大事である。壬申の乱の本質とは何か?壬申の乱によって皇族の位置付けはどのように変わったのか?また、壬申の乱は、天智系と天武系という皇統に関わる言葉が生まれるきっかけとなった古代の歴史上の重大事件であるが、同時に奈良時代という時代を生んだのも壬申の乱なのだと言える。奈良という土地に都を残すことにこだわったのはなぜか?また、王族と豪族、豪族間の争いのみならず、王族、豪族内部の抗争と粛清、および未来に交わされた密約は何か?さらにこの事件の後、不比等という巨星の出現から藤原氏が台頭するわけだが、壬申の乱との関連性はあるのか?まったくないのか?というように、過去と未来をさまざまな角度からつないで問いを立てていくことで、この出来事の意味はいかようにも変わってくるのだ。

歴史を考えることは頭の体操である。あはは。と笑わせる授業ではなく、ほー、なるほどと感嘆させる授業をめざして、今日もいろいろ考えてみました。