だーれだ?ということでいきなりクイズから入りますが、たぶん日本ではマイナーな人物なので、わからないと思うのであっけなく答えを。


「イブン・バットゥータ」!


なんてカッコいい名前なんだ、と世界史の勉強をしながらとりこになってしまった。皆さんも名前を唱え続けたらきっと彼のとりこになるに違いない。(ちなみに世界史の横文字の人物名など用語は唱え続けることで覚えよう!気合いなんです!ドヴァーラブァティー!シュリーヴィジャヤ!かつて東南アジアにあった王国です)


ちなみに知っている人は知ってるとおもうが、イブンというのは「息子」という意味で、イブン・〇〇で「〇〇さんの息子」という意味になるため、バットゥータさんがお父さんということになるはずなのだが、お父さんはイスラム教の預言者であるムハンマドの名をなのり、イブン・バットゥータもムハンマドの名を受け継いだ。そうすると、バットゥータってなんなんだって話だが、先祖から継承している称号のようなものか。

そしてこれもアラビア世界に詳しい人ならご存知かもしれないが、アラビア世界で生活する人の正式名称はカタカナで書いても、100字前後にのぼり、イブン・バットゥータも「アブー・アブド・アッラー・ムハンマド・ブン・アブド・アッラー・ブン・ムハンマド・ブン・・・」とここまでで全名称の3分の1いったかいかないかの長さである。アラビア世界の正式名称は一族の系図を表すものとどこかで読んだ気がするが、アッラー、ムハンマドというイスラム教にちなんだ言葉が含まれている自らの名を唱えることは、先祖への感謝と共にイスラームを信ずる意志を高める浄化の祈り、呪文のようなものだったのかもしれない。


イブン・バットゥータも言うまでもなく敬虔なイスラム教徒であった。彼はベルベル人として、北アフリカのマグリブ地域にあるモロッコに生まれた。ベルベル人はアラブ人と混血する中でアラビア社会と同化したが、彼はメッカ巡礼を皮切りにして、世界中の高名な学者や聖者との面会を通じて、イスラーム学の習得と信仰心の純化に努めた。彼は西はスペイン、南ロシア、東アフリカ、東はインド、東南アジア、そして、当時世界を震撼させたあのモンゴル帝国まで、イスラーム社会の庇護を受けながら、果てしもない旅の日々を生涯送り続けた。


彼の著書である「大旅行記」を読むのは現状やや荷が重いため、家島彦一氏の解説書を読みつつ、彼の大旅行の一端を味わっている。


将来の移民の研究をする上でも、バットゥータの「移動するという美学」を学ぶことが役に立つに違いない。次回はバットゥータにとっての移動、旅の意義についてもう少し掘り下げたいと思う。