昨日の月影塾定例稽古は柳生九箇と疋田位詰の稽古に終始。九箇は先日の演武会で塾員で唯一披露させていただいた愛着のある勢法だが、この夏から塾生みんなも稽古し始めたため、専売特許ではなくなったわけだ 笑 昨日稽古してみて、まだまだ考えなくちゃいけないことがいくつかあるなあと気づく。具体的には柳生新陰流の真髄といえる猿廻の意識を強く保ちながら稽古をする、いや稽古の時だけではなく、日常生活でも猿廻!崩す、塞ぐ!というところだろうか打太刀の手順と心得を合わせて学びたい。 


疋田は企業秘密なので興味がある人はぜひ稽古に足を運んでほしい。これを見れずに死ねるか!という代物だと自信を持っていえる。逆風という勢法では砕きという実戦的な稽古を行った。やるべきこど、全てちゃんとやらないとなんにも成立しない。1か0かという厳しさがあるが、できるだけの力量は今まで培っているはずなので、一つ一つの機会を大切に、丁寧に臨んでいきたい。


しかし、月影塾の面々、経験がそれほどあるわけではないが、難しい手順をどんどん覚えてこなしていく才能集団である。僕は不器用な方なので、うらやましいが、久しぶりにいい刺激となっている。これから暑さがしばらく続くが、この夏に身体を鍛えつつ、動かす習慣を増やしてさらなる向上への道を切り開いていきたいという思いである。この道に終わりなし。常に初心忘るべからず。


久しぶりのブログ。というか、今年2回目か?今年は世界史をからめて歴史の授業をしている。フリースクールという自由さもあり、現在カリフォルニアに留学している高一の学生には、ロサンゼルス、サンディエゴの地誌、リトルトーキョーの歴史、果てはハリウッド誕生の歴史まで授業した。当然取材が大変なのだが、カリフォルニアについて調べているうちに、移民というものについて考えたくなっている。カリフォルニアの開発には日本人や中国人、アイルランド人が関わったことは有名だし、今や世界の映画産業のトップを行くハリウッドも映画を発明したあのエジソンに東海岸から追われたユダヤ人が生み出したものだった。

日本だとやはり満州移民が思いあたる。昭和恐慌から脱却するために、日本政府が移民奨励をしたこともあったが、20万人以上の日本人が大陸へ渡っていった。敗戦前後のソ連軍の満州侵入により、多くの人が命を落とした悲劇もあり、必ずしも肯定的には語れない歴史もあるが、満州国、関東軍、満鉄、満映、その他満州に夢を賭けた人々のダイナミズムは活力を失いかけている現代の日本人が民族というものを考える良い機会になるように思える。

今年もよろしくお願いいたします!って、今年になって一度も更新してなかった当ブログ。これじゃYoutuberなんて夢のまた夢だな〜。

とはいえ、爪を磨くことは続けないとね。

ということで、本格的に映画研究の土壌を育てることを日々意識している。演劇部の顧問をしながら、戯曲分析や演技指導をすること、文学の授業をすることは想像力を養い、維持することに生かされている。本当は想像力の育成はとっくの昔に常にしておかなくてはいけなかったのだけれど、凡夫である自分を嘆くほかない。本当に認識するまでにはかなりの時間を要することをまた実感している。

今後、演劇部では、チェーホフのプロポーズ、シェークスピアのハムレットの生きるべきか?死ぬべきか?のシーンと剣舞のシーンを作っていこうかな、と思っている。部員も初舞台を無事乗り越えていよいよ本格始動である。


昨日は、昭和の巨匠、「東京物語」「麦秋」などで知られる小津安二郎監督の誕生日である。この方を知らずにいたら、きっと昔の日本映画に触れることもなく、秋津温泉にも、雷蔵にも出会うことはなかっただろうから、大恩人と言える。先生と言える人は、実際に会ったこともなければ、今この世にいない人の中にもいる。そういう先生から日々諭されて、エネルギーをもらって生きているのだと、僕は信じているのだ。秋津温泉の吉田喜重も、先日この世を去った。吉田喜重の作品は、秋津温泉しか見ていなかったが、これを機会に目を通していきたい。


小津先生の「長屋紳士録」を観る。今週3回目。


なんて面白く,そして切ない映画なんだ。

坊や役の子がとてもいい味を出している。芸名は、青木放屁。屁を放つ、ってすごい芸名。


子供を見守る、飯田蝶子、吉川満子、坂本武、そして、笠智衆。

この人たちの素晴らしい芝居を再び世に。


そして、何より小津先生の全シーンにわたる素晴らしい心遣い。

来年は小津先生、生誕120周年。

何か来るのかな。いずれにせよ、よき作品をプレゼントされた気がする。



本年で、勉強を教える立場になって、6年目を迎えたが、例年となんだか雰囲気が違う。大学進学を希望する教え子たちは、推薦入試で早々に合格する子が大半であり、本来ならここから四苦八苦する時期なのだが、なんだか拍子抜けで、自分自身の研究に没頭したい気分である。

まあ、そうはいっても、授業は続き、大学合格した生徒と研究?に取り組んでいるのが、芥川の「河童」。雨月物語といい、どうしても妖怪から離れられないらしく、演劇部の部長(仮)からも、妖怪扱いされる始末。。。

「河童」は、精神病棟に入った患者が、入院前に迷い込んだ河童の世界について語った話を、筆記した病院の職員が語ると言う、手の込んだプロット。まだ冒頭だが、生徒と物語について話をしながら進めているが、生徒もユニークな子で、漁師のパックは、人間を捕まえていたが、河童界の文明開花後は、食べなくなったとか、その場で、さまざまな発想が生まれるのが面白い。河童は、江戸時代には、各地に発見されたという記録も残っており、日本人にとっては、身近な妖怪なはずだが、作品にも出てくるように、カメレオンのように皮膚の色を変える能力を使って、今は世知辛い人の世を避けて、どこかに隠れて、我々を眺めているのかもしれない。

10月末は、秩父で、剣術の合宿。休む間もなく、11月20日は、演武会を迎える。

このブログでは、今まではっきりとは明らかにしていなかったが、私は、月影塾という団体との出会いをきっかけに、新陰流を知り、追究し始め、早いもので今年で8年目となった。



当塾も、メンバーと共に、大幅リニューアル。鎌田師範が長年研究研鑽されてきた「疋田陰流」が今月の演武会で世に出ることとなる。



会場は、第二武道場。本物を知りたい人はぜひ見に来てほしい。


この日に会場に流れることとなる、塾を象徴する曲を私が歌うことになり、先日、レコーディングを済ませる。人生初めての経験であったが、ミュージシャンの大変さを知る。


この演武会をきっかけに、また多くの縁が広がるよう祈りたい!



本日より雨月物語の企画授業が始まった。雨月物語は、大映の映画で出会い、この世のものとは思えぬ幽玄を味わったところから、10年来、研究したいと願っていたが、いよいよ機会を得た、といえる。本日は、上田秋成の半生と、雨月物語の序文を読み解きながら、秋成の人となりを学習した。作品を読み解く上で、作者を知ることは大変大切なことだが、序文では、羅貫中と紫式部の末路を当然といいながら、2人の作風については褒めて、自分のことは下げて語っているところは、なかなか抜け目のない人間に見える。それだけに人生の中では苦労の連続であっただろうが、秋成の生の人となりもいつか掘り下げたいところではある。

作品は、道成寺の安珍・清姫伝説とも関わりの深い「蛇性の淫」である。本文の読解もさることながら、翻案元の作品との比較、登場人物の性格分析もしながら、舞台作品を作ることを視野に入れつつ、授業準備したい。

ふー、またサボっちまった。ま、再開できたから、それでよし。


歴史総合企画授業開始。

昨日は、ヨーロッパの歴史を大航海時代まで、ざあーと。個別指導だと、どうしてもしゃべりすぎになってしまう。もう少しメリハリが欲しかった。簡単なエピソードをもう少し組み込むとか。トルデリシャス条約とサラゴサ条約の境界線、奴隷船はやはりインパクト高い。

慣れてきたら、生徒に手を動かさせることもしていきたい。すぐには、いい形にはならないから面白い。ひとつひとつ反省しながら積み重ねる。

私が顧問を務める演劇部が、部員が2人になったことをきっかけに、ついに、教室を抜け出して、公園で外練習(^^)

本格始動である!


まずはリラクゼーションのために、呼吸に集中するトレーニング。はく、吸う、これをひたすら繰り返す。生徒からは眠くなったという声があったが、それだけリラックスしたのかも。他にもさまざまなメソッドがあるが、今後、いろいろ試してみたい。

想像力のトレーニング。土方歳三とデートするとしたら、というもしもを使って、心の中で想像を広げてみる。最初は、僕が、生徒を、言葉で誘導。どんなメイク、服でデートに行くか、相手は時間通り来たのか、最初はどこに行くのか、想像するためのネタを与える。その後は、徐々に想像の世界に働きかけていくことをうながす。相手と話してみる。声や音を聞いてみる。何かに触れてみる。このような内的な感覚を開くことで、外的な感覚も開いてくる。


交流のトレーニング。俳優のトレーニング当初やりまくったリピテーション。

サンフォード・マイズナーというアメリカの演技講師が編み出したもので、文字通り、言葉を「繰り返す」だけ。

サンフォード・マイズナーについては下記のとおり↓



13年ぶりぐらいにやったトレーニングで、見切り発車だったため、生徒も??という感じだったことも否めないが、当演劇部は、「交流」を極めることをモットーとするゆえに、外せないトレーニングなのである。


あとは、また今度!おやすみなさーい♪♪

こんにちは〜!本当にいい天気で、楽しくなりますね。


さて、またブログを書き始めようと思ったことは、他でもない。「YouTuber」になってみたい!と思ったからである👏


なんてまた、軽口たたくと、あいつは、なめていやがるなあ、と、批判の声が、各方面から聞こえてきそうだが、いやいや、自分が今まで経験してきたこと、学んできたことって、自分で思っている以上に、皆さんにとっては、面白いんじゃないの?という、神の声が届く、いや、だいぶ前から、届いていた、しかし、信じきれずにここまできたが、よし、ここは、自分を信じて伝えてみよう!と、一つの決意であるわけなのである。

実際、僕が体験してきたロシア演劇、舞踏、新陰流剣術、どれを見ても、普通の人では味わえないものであり、究極といえるし、ぼくの破天荒?ともいえる人生も、なかなか味わい深いわけで、このブログを作った15年ほど前のコンセプトも、まさに、人生を破天荒に生きるというところにあり、まさに、今、原点回帰といえるのである。


まあ、そうはいっても、常に面白いもの、伝えられるかわからないし、意欲が続かず、滞ることもあるかもしれないが!みなさまに何かを伝え続けようとすることが、自分の役割かな、と、思っている。


演劇部で使う予定のチェーホフ・ユモレスカ(コント集)が届く。チェーホフの喜劇性は、短編集の中にあるといえる。

「ひどい目にあった」。眠くて仕方が無かった男が、ようやくベットで寝ていたが、となりの部屋で、どんちゃん騒ぎが始まり、眠れず、思わず激怒してしまったことによる悲劇。


「妻は出て行った」。普段あまり会話がなさそうな夫婦が語り出した顛末は、なんと別れ話になる悲劇。


悲劇だけど、どこにでもある、大っぴらにはわらえないけど、クスッと笑いたくなる、人間臭い話が、この短編集にはたくさんある。